2017-12-31
2017-12-29
佛陀の九徳 〜 阿羅漢2、功徳、縁起
(これはスダンマ長老から教えていただいたものを録音し、書き起こしたものです)
アンナバーラの話
ダンマパダの注釈書、dhammapada-aṭṭhakathā ダンマパダッタカターを読んでみると、因縁物語としてこういう話が沢山あります。
お釈迦さまが生まれるより前の、アンナバーラというとても貧乏な人の話です。
ダーナサーラ・お布施食堂
バーラーナシーという国にスマナという大金持ちがいました。そのスマナという人は色んな人たちにお布施をしていました。ダーナサーラーといって、お金がある人たちは昔自分の家の前で食堂を作って、そこで誰が来て食べても良いですよということで、貧乏な人たちもよくそこに来て食べていましたし、他の困っている人たち、道行く人たちにも食べさせてあげていました。
こんなことを言うと「こんな人たちが本当に昔いたんですか?」と日本人は思うかも知れませんが、スリランカには今でもいます。だから私たちには何も不思議なことではありません。5月、6月になるとスリランカではただで、どこに行っても食べられるんです。
ウェーサーカ月に入ると、村の人たちがみんなでお金を集めて食堂を作ります。それで一週間くらい沢山ごはん、カレーを作って、道を通る人々、貧乏な人たち、みんなを呼んで食べさせてあげるということを、今でもやっています。
だから私たちには、貧乏な人を沢山自分のうちに呼んで毎日お布施をしている人がいました、といっても全然不思議とも何とも思わないんです。今でも見ることができますから。私たちは昔からやっていることですし、インド、スリランカ、タイ、ミャンマーでは、今でもあることです。
2017-12-24
2018年新年祝福法要のお知らせ
皆様が善い新年を迎えられますようにと御祈願して、2018年新年祝福法要を富士スガタ精舎にて、12月31日から行います。それぞれの法要に時間が合う方は、どなたも自由にご参加下さい。
2017年12月31日
16:00~ 特別法話
講師:ワルポラ・ゴータマ長老
18:30~ 菩提樹供養法要
導師:ワラカーポラ・ナンダラタナ長老
19:30~ 軽食20:30~ ダンマ・ディスカッション
23:00~ 祝福読経(0:30終了予定)
2018年1月1日
6:30~ お釈迦さまに乳粥のお供え
7:30~ 四方僧伽にお食事のお布施
16:00~ 特別法話
講師:ディヤタラーヴェ・ピヤダッシ長老
18:30~ 特別過去七佛供養法要
導師:マクレーマダ・シリナンダ長老
富士スガタ佛教協会
2017-12-11
年末年始佛道実践会のお知らせ
年末年始の佛道実践会を富士スガタ精舎で
12月25日(月)〜 1月2日(火)
に行います。
スリランカから、瞑想指導なさるお坊様も
いらっしゃっています。
期間中、どなたも自由にご参加ください。
日帰りでも、参加される方はスガタ精舎まで、
電話かメールで申し込みをお願いします。
日帰りでも、参加される方はスガタ精舎まで、
電話かメールで申し込みをお願いします。
電話:0544-66-8434
携帯:070-5647-0644
メール:sugatavihara@gmail.com
参考までに、佛道実践会の進め方はこちらです。
2017-12-05
佛陀の九徳 〜 清浄道論、注釈書、阿羅漢1
(これはスダンマ長老から教えていただいたものを録音し、書き起こしたものです)
では一緒に佛陀の九徳をパーリ語で唱え、それから一回日本語で唱えましょう。
namo tassa bhagavato arahato sammā sambuddhassa.
namo tassa bhagavato arahato sammā sambuddhassa.
namo tassa bhagavato arahato sammā sambuddhassa.
itipi so bhagavā arahaṃ, sammā sambuddho,
vijjā-caraṇa sampanno, sugato, lokavidū,
anuttaro purisa-damma-sārathi,
satthā deva-manussānaṃ, buddho, bhagavāti.
sādhu! sādhu!! sādhu!!!
世尊は
阿羅漢(一切の煩悩を滅尽し、神々、人間の尊敬・供養を受けるに値する方)であり
正自覚者(完全たる悟りを最初に悟ってその悟りへの道を他に教えられる方)であり
名行具足者(8種の智慧と15種の行『性格に関する徳』が備わっている方)であり
善逝(正しく涅槃に到達した、善く修行を完成した、正しく善い言葉を語る方)であり
世間解(宇宙、衆生、諸行という3つの世界を知り尽くした方)であり
無上の調御丈夫(人々を指導することに於いて無上の能力を持つ方)であり
天人師(人間、超次元的存在である神々等一切衆生の唯一の師)であり
覚者(真理に目覚めた方、佛陀)であり
世尊(全ての福徳を具えた方)であります。
サードゥ! サードゥ!! サードゥ!!!
では一緒に佛陀の九徳をパーリ語で唱え、それから一回日本語で唱えましょう。
namo tassa bhagavato arahato sammā sambuddhassa.
namo tassa bhagavato arahato sammā sambuddhassa.
namo tassa bhagavato arahato sammā sambuddhassa.
itipi so bhagavā arahaṃ, sammā sambuddho,
vijjā-caraṇa sampanno, sugato, lokavidū,
anuttaro purisa-damma-sārathi,
satthā deva-manussānaṃ, buddho, bhagavāti.
sādhu! sādhu!! sādhu!!!
世尊は
阿羅漢(一切の煩悩を滅尽し、神々、人間の尊敬・供養を受けるに値する方)であり
正自覚者(完全たる悟りを最初に悟ってその悟りへの道を他に教えられる方)であり
名行具足者(8種の智慧と15種の行『性格に関する徳』が備わっている方)であり
善逝(正しく涅槃に到達した、善く修行を完成した、正しく善い言葉を語る方)であり
世間解(宇宙、衆生、諸行という3つの世界を知り尽くした方)であり
無上の調御丈夫(人々を指導することに於いて無上の能力を持つ方)であり
天人師(人間、超次元的存在である神々等一切衆生の唯一の師)であり
覚者(真理に目覚めた方、佛陀)であり
世尊(全ての福徳を具えた方)であります。
サードゥ! サードゥ!! サードゥ!!!
2017-11-30
2017-11-26
佛陀の九徳 〜 導入
(これはスダンマ長老から教えていただいたものを録音し、書き起こしたものです)
佛教徒にはどうやってなるのでしょうか。
他の宗教、例えばキリスト教であればバプテスマ、洗礼という言葉があって、神の聖なる水をかけてキリスト教徒になります。教会の中で冷たい聖なる水をかけて、キリスト教徒になる。そのように色んな宗教では信徒になる方法が決まっています。
さて佛教です。どうやって佛教徒になりますかということを聞かれた時、お釈迦さまは「佛法僧に帰依することで佛教徒になります」と教えられました。
次に佛教徒になった人はどうすれば優婆塞、優婆夷になりますかと聞かれましたので、「三帰依、五戒を守ることによって優婆夷、優婆塞になります」と答えました。だから佛教徒になったら、その人は、必ず五戒を守ることを約束しているんです。誰と約束しているかというと、自分と約束しています。お釈迦さまと約束しているわけではありません。戒律を守るとその結果は自分がもらえますので、自分と約束するんです。
佛教徒になるためには三帰依もしなければなりませんから、その三帰依というのはどういうものかと、佛教徒はちゃんと理解しなければいけません。ただ buddhaṃ saraṇaṃ gacchāmi ブッダン・サラナン・ガッチャーミ、dhammaṃ saraṇaṃ gacchāmi ダンマン・サラナン・ガッチャーミ、saṅghaṃ saraṇaṃ gacchāmi サンガン・サラナン・ガッチャーミ、佛に帰依します、法に帰依します、僧に帰依しますという言葉を言うだけでは、三帰依したとは言えません。
三帰依というのは心からやるものですから、佛陀とはどういうものですか、法というのはどういうものですか、僧という人たちはどういう人たちですか、とちゃんと理解しなければいけません。佛法僧の徳を、佛教徒になった全ての人々は少しでも、理解していかないといけません。
佛法僧に礼拝する、buddha-vandanā、dhamma-vandanā、saṅgha-vandanāというお経、お経といっても経典の中にまとめられているもので、dhajagga-suttaという経典、dhajagga-parittaの中で、佛法僧の徳をお釈迦さまは教えられています。itipi so bhagavā arahaṃ, sammā sambuddho とか svākkhāto bhagavatā dhammo という偈、supaṭipanno bhagavato sāvakasaṅgho というその三つの佛法僧の徳です。それで我々も佛法僧に帰依して礼拝するために、この三つの偈を唱えることになっています。
しかし、お釈迦さまの徳といったらもう数え切れない、この上ない功徳、徳があると言われているんですね。だからまあ我々が一般的に徳を理解するというのは、とても難しいことです。なかなか一般の人には、佛陀の九徳も理解してもらうのは難しい。
お釈迦さまは教えます、
buddho pi buddhassa bhaṇeyya vaṇṇaṃ
kappaṃ pi ce añña mahāsamāno,
khīyeta kappo viya degha mantare
vaṇṇona khīyeta tathāgatassa.
一人の佛様がもう一人の佛様の徳を話します。それも、寝ないで昼も夜もずーっと佛陀の徳を唱えることにします。そうしていくと、長い時間「劫」、世界が始まってから無くなるまでの間、その一劫の間、昼も夜も寝ないで佛陀の徳を唱え続けても、佛陀の徳は話しきれません、という意味です。
佛にも佛の徳を唱えて劫の間に終わることができない、では一般の人たちはどうやって徳を理解するのか。だから我々にわかりやすく、全ての徳を九徳にして教えています。
少なくともその九徳というものはどんなものかと、理解してほしいのです。それと同じように、法の六徳も理解しなければいけない。それから僧の九徳も。
全て数えると24徳あります。佛法僧の24徳という言葉をよく使います。私たちもよく皆さんを祝福する時、この佛法僧の24徳を唱えて、その24徳の力で皆さんが幸せでありますように、と祝福するんです。佛教の僧侶の祝福とはそういうものです。決心というか決意、sacca kiriya サッチャ・キリヤ、本当にこの世の中に現れているものを唱えて、それは本当のことですから、その真実の力で皆さん幸せでありますように、とお祈りするんです。念じる、と言ってもいいと思います。
他の宗教だと祝福はまた別ですね。神のご加護がありますようにと。一応私たちも佛陀のご加護がありますようにとか、三宝のご加護がありますようにという言葉を使うんですけど、それを使っているのは佛陀の徳の力で皆さんにご加護がありますように、という意味で使っているんです。
それでは、これから佛陀の九徳を説明していきます。
佛教徒にはどうやってなるのでしょうか。
他の宗教、例えばキリスト教であればバプテスマ、洗礼という言葉があって、神の聖なる水をかけてキリスト教徒になります。教会の中で冷たい聖なる水をかけて、キリスト教徒になる。そのように色んな宗教では信徒になる方法が決まっています。
さて佛教です。どうやって佛教徒になりますかということを聞かれた時、お釈迦さまは「佛法僧に帰依することで佛教徒になります」と教えられました。
次に佛教徒になった人はどうすれば優婆塞、優婆夷になりますかと聞かれましたので、「三帰依、五戒を守ることによって優婆夷、優婆塞になります」と答えました。だから佛教徒になったら、その人は、必ず五戒を守ることを約束しているんです。誰と約束しているかというと、自分と約束しています。お釈迦さまと約束しているわけではありません。戒律を守るとその結果は自分がもらえますので、自分と約束するんです。
佛教徒になるためには三帰依もしなければなりませんから、その三帰依というのはどういうものかと、佛教徒はちゃんと理解しなければいけません。ただ buddhaṃ saraṇaṃ gacchāmi ブッダン・サラナン・ガッチャーミ、dhammaṃ saraṇaṃ gacchāmi ダンマン・サラナン・ガッチャーミ、saṅghaṃ saraṇaṃ gacchāmi サンガン・サラナン・ガッチャーミ、佛に帰依します、法に帰依します、僧に帰依しますという言葉を言うだけでは、三帰依したとは言えません。
三帰依というのは心からやるものですから、佛陀とはどういうものですか、法というのはどういうものですか、僧という人たちはどういう人たちですか、とちゃんと理解しなければいけません。佛法僧の徳を、佛教徒になった全ての人々は少しでも、理解していかないといけません。
佛法僧に礼拝する、buddha-vandanā、dhamma-vandanā、saṅgha-vandanāというお経、お経といっても経典の中にまとめられているもので、dhajagga-suttaという経典、dhajagga-parittaの中で、佛法僧の徳をお釈迦さまは教えられています。itipi so bhagavā arahaṃ, sammā sambuddho とか svākkhāto bhagavatā dhammo という偈、supaṭipanno bhagavato sāvakasaṅgho というその三つの佛法僧の徳です。それで我々も佛法僧に帰依して礼拝するために、この三つの偈を唱えることになっています。
しかし、お釈迦さまの徳といったらもう数え切れない、この上ない功徳、徳があると言われているんですね。だからまあ我々が一般的に徳を理解するというのは、とても難しいことです。なかなか一般の人には、佛陀の九徳も理解してもらうのは難しい。
お釈迦さまは教えます、
buddho pi buddhassa bhaṇeyya vaṇṇaṃ
kappaṃ pi ce añña mahāsamāno,
khīyeta kappo viya degha mantare
vaṇṇona khīyeta tathāgatassa.
一人の佛様がもう一人の佛様の徳を話します。それも、寝ないで昼も夜もずーっと佛陀の徳を唱えることにします。そうしていくと、長い時間「劫」、世界が始まってから無くなるまでの間、その一劫の間、昼も夜も寝ないで佛陀の徳を唱え続けても、佛陀の徳は話しきれません、という意味です。
佛にも佛の徳を唱えて劫の間に終わることができない、では一般の人たちはどうやって徳を理解するのか。だから我々にわかりやすく、全ての徳を九徳にして教えています。
少なくともその九徳というものはどんなものかと、理解してほしいのです。それと同じように、法の六徳も理解しなければいけない。それから僧の九徳も。
全て数えると24徳あります。佛法僧の24徳という言葉をよく使います。私たちもよく皆さんを祝福する時、この佛法僧の24徳を唱えて、その24徳の力で皆さんが幸せでありますように、と祝福するんです。佛教の僧侶の祝福とはそういうものです。決心というか決意、sacca kiriya サッチャ・キリヤ、本当にこの世の中に現れているものを唱えて、それは本当のことですから、その真実の力で皆さん幸せでありますように、とお祈りするんです。念じる、と言ってもいいと思います。
他の宗教だと祝福はまた別ですね。神のご加護がありますようにと。一応私たちも佛陀のご加護がありますようにとか、三宝のご加護がありますようにという言葉を使うんですけど、それを使っているのは佛陀の徳の力で皆さんにご加護がありますように、という意味で使っているんです。
それでは、これから佛陀の九徳を説明していきます。
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