2017-10-01

イスラム教について


 イスラム教では、キリストは預言者の一人です。
 
 イスラムという言葉の意味は、イスラム教徒に聞くと「平和」という意味と教えてくれます。でも本当の意味はそうではありません。アラビア語でイスラムというのは「神に全てを任せる」という意味です。だから神しかいない、全てアッラーという神だけですよ、という意味なんです。
 
 イスラム教を広めるためにやっている色んな方法があります。その中で重要な言葉がジハード、アル・カイダなどです。アル・カイダと聞いた途端に「テロ」ということがわかりますね。そんな風に、平和を教えている。戦争しているのは平和を広めるためなんです。

  コーランの3-28にはこう書いてあります。イスラム教徒の人は、異教徒の人を友達として認めてはいけません。友達であると考えることもいけません、と。
 
 この命令を、まあ戒律みたいなことですね、イスラム教徒にとっては、これを守らない人にアッラーは懺悔させません。アッラーの前に行って懺悔しても赦してくれない、ということです。
 
 でも、イスラム教徒であるあなたたちが、住んでいるところがほとんどイスラム教徒じゃない人たちが住んでいるところであるならば、そこにあなたたちが住むことが出来るように、あなたたちの安全のために、その社会の中にアッラーの教えを広めるために、そのイスラム教徒じゃない社会の中で、嘘の、「私たちは友達ですよ」との知らせをして下さい、私たちは皆と仲良くしていますよ、と。
 
 佛教みたいに難しいことはなにもないんです(笑)。簡単ですよ、理解するのは。
 
 その友好関係は必ず表だけのもの、表面的なものだけにして下さい、と教えています。必ずそうしなければいけない。本当に友達になってはいけません。だからイスラム教徒と結婚すると、その結婚する相手は必ずイスラム教徒にならなければいけない。あなたはあなたの宗教をやって下さい、私は私の宗教を信じる、ということは絶対に出来ません。それは心からの友達、友好関係ではないもの、ということをはっきりと言っています。
 
 日本の中にいるイスラム教の人たちもそんな感じなんです。皆とても仲良くして、親しくして素晴らしいんです。だから「イスラム教徒の人は素晴らしいですねぇ」となる。
 
 コーランの60-4、真実に、私たちはあなたたちとは違う人である、これは必ずそうですよ、と。
 
 私たちは同じ人間なんですけど、その人間の中でイスラム教徒である私たちとそうでないあなたたちとは違いますよ、ということです。また、あなたたちが信じている宗教は私たちには要らない、良いとは言いません、あなたたちが信じているイスラム教以外の全ての宗教は間違えた宗教です。だからあなたたちはアッラーという神のみを信じるまで、私たちはあなたたちを恨みます、喧嘩をします、批判します、と。
 
 コーランの9-5、聖なる四ヶ月が終わった時、ラマダンが終わった時ですね、偶像を崇拝する人を見たら、斬ったり刺したりして殺して下さい、またそういう人を捕まえて縛り付けて下さい、その人たちがいるところにわざわざ行って隠れて、その人たちを殴って下さい、襲って下さい。その人たちが自分の宗教を捨ててアッラーの宗教を信じる人になるのなら、その人たちだけ赦して下さい、アッラーは懺悔を受け入れます、アッラーには大慈悲がありますから。マハーカールニカと言っています。
 
 今ミャンマーで、女性の服を全部脱がせて、木に縛り付けて殴るんですね。それでイスラム教に入るんだったら赦す。そうじゃなかったらそのまま殴って石を投げて殺します。実際写真がfacebookなどに沢山あります。私の所でも流しています。勿論お坊様も殺していますから、托鉢する時には軍隊の人が守っているんです。そうじゃないと殺されてしまいます。平和の宗教だから。
 
 なぜ西洋社会がで「ロヒンギャに対する民族浄化」という話になってしまうのかというと、これには裏の意味があって、戦争があった方が武器を売ったりすることができる、色んなNGOなど援助団体には、そういう人たちがいないとお金が集まらない。そういう理由からです。
 
 そういう人たちがミャンマーからもう追い出されている人たち、お坊様を殺したり村全部焼いたり皆殺しにしたり、そういうことをしてミャンマーが軍隊を使って追い出されたテロリスト、そういう人たちに話を聞いて、その人たちの意見だけを聞いているからなんです。
 
 バングラデシュは小さな国です。ロヒンギャ人という民族がいるわけではないんです。皆ベンガル人。ビルマ人ではない。ベンガルというのはバングラデシュのことで、バングラデシュから入ってきた人たち、1930年代くらいにミャンマーに入ってきた人たちです。そうでなかったらミャンマーは全て佛教徒だけでした。今も90%そうですし、残りの10%がイスラム教や他の宗教を信じている人たちです。佛教徒が多いんですから、その多い方の佛教徒がいじめている、という風に言っているんです。でもバングラデシュに逃げる人たちも、バングラデシュに入れてくれません。出て行け、と。インドに行っても、一番最初にインドに行った人たちは、食べ物、飲み物を全部船に乗せてまた追い出されました。
 
 その人たちがスリランカに行くと、スリランカは受け入れてくれました。「どうぞ」と。それでスリランカの中で大変問題が起こっています。今スリランカの中でも色んな所でデモをやっています。そういう人を国に入れるな、と。イスラム教徒なんだからサウジアラビアもあるし、バングラデシュもあるし、パキスタンもある。そういうイスラムの国に行ってそういう国で難民として受け入れてもらえばいい、という意見です。
 
 コーランの2-216にこうあります。ジハードというのは、アッラーの目的に達するためにイスラム人じゃない人に対して行う清らかな戦争である。戦争はアッラーの教えを広めるためにやっているんですから、そういう戦争は悪くない、清らかな素晴らしいものであると。だから全てのイスラム教徒の人たちはこのジハードというものは必ずすべきものである、と。あなたはそれが好きじゃなくても必ずやらなければいけない、イスラム教徒の中にもそんなことは良くない、と自分で思って他宗教の邪魔をしないという人もいますがそれはイスラム教徒のやり方ではない。
 
 コーランだけではなくて、他の聖典もあります。コーランは大聖典であって、イビン・イシャークとか、注釈書みたいなものです。聖典で言っていることを色々説明している本です。その中で、アッラーはこのように言いました、優秀な詐欺師は私である、神がそう言っているんです。
 
 なぜかというと、世の中の全ての人を騙して、その人たちのものを奪って、イスラムを信じる人たちにあげる、実際にそうなっています。アフガニスタン、インドネシア、もともとは佛教徒の国でした。アフガニスタンはガンダーラ地方、佛像とか全部自分のものにしてあげました、私は。
 
 そんな素晴らしい宗教なんです。