2017-09-26

施本について


 8月と9月の佛道実践会では、十二縁起を教えていただきました。
 
 8月のものが終わった時点で「9月のものを書き起こす予定」と書きましたが、実は9月の動画収録は度重なる不調により、ブログでの公開を断念することとなりました。
 
 他の動画は大丈夫だったのになぜか十二縁起のものだけは途中が抜けたり音声が入らなかったりおかしくなったり。
 
 このままでは次にやる時にも同じことが起こるのではないかと正直非常にやる気を失っていたところ、スダンマ長老より「では十二縁起は施本にしましょう」とおっしゃっていただきました。
 
 しかしながら、8月の十二縁起について動画をご覧になればおわかりになると思いますが、十二縁起全部(滅も)を文章にするとなると、相当な量になると予想されます。
 
 そこで、良い機会ですので、日本ではあまり馴染みのない、施本について紹介いたします。


スガタ精舎のこれまでの施本


 先日精舎で施本の話になった時、スダンマ長老は「施本の欲しい人は精舎に問い合わせれば送れるようにして下さい」とおっしゃっていたのですが、実は精舎にはもう以前の施本がほとんど残っていません。すべてはけてしまいました。
 
 これまでのスガタ精舎の施本は、4冊あります。
 
 1.安心(あんじん)・metta sutta。慈経の説法。
 
 2.迦絺那衣(かちなえ)・Kaṭhina Cīvara Pūjā 「雨安居明けの比丘へ差し上げる衣とその功徳」。
 
 3.転法輪経(てんぼうりんきょう)・Dhammacakkappavattana Sutta。転法輪経の説法とパーリ語、日本語訳。
 
 4.日常読誦経典・VANDANĀ SAHA PARITTADESANĀ。パーリ語と日本語訳。
  
 スガタ精舎のやり方は基本ガチガチのテーラワーダ教義に則っていますので、現状の日本では、テーラワーダにまったく馴染みのない方に「読んでね」と言えるスガタ精舎の施本は1.の安心(あんじん)しかありません。他のものはパーリ語も多用されていますし、多少テーラワーダの知識がないとまるで意味がわからないと思います。
 
 逆に言えば、「もう少しテーラワーダの深い世界を知りたい」という方には、もってこいのものとなります。
 
 日常読誦経典の後書きに、ローマ字表記校閲をお願いしたケラニヤ大学のDr. Ven. Maduruoye Dhammissara Thero マドゥルオイェ・ダンミッサラ長老が、こう書いていらっしゃいます。
 
 (以下引用)
 
Ven. Sudhamma thero's early three works: Anjin Mettasutta, Kaṭhinānisaṃsa and Dhammacakkappavattanasutta, with Japanese translations, cover the field and fulfil the requirement of Buddhist devotees who are in search of more knowledge in the related field.

スダンマ長老のこれまでの3冊の本、「安心(あんじん)」、「迦絺那衣(かちなえ)」、日本語訳の付いた「転法輪経(てんぼうりんきょう)」も、なにをすればいいかと探している、これからどうすればいいかともっと知識を求める在家佛教徒が望むことを満たすものとなっています。

 (引用おわり)
 

施本のお布施について


 まず、施本のお布施というのは、結局はお金のお布施のことです。そのお金で施本を制作する、ということです。施本を制作するのに必要なお金をお布施することによって、「施本をお布施する」ということになります。「私はこういうものを書きました。これを施本として配って下さい」というのは施本とは言えません。飽くまでテーラワーダのプロであるお坊様が書いた、テーラワーダの深い知識を基に書かれたものであるからこそ功徳があるのですから、いい加減なものを出すわけにはいきません。
 
 スガタ精舎の施本は、世間で出版されている本のように、一冊一冊お金を取って出版するということをしません。飽くまでお布施によって制作されるもので、一度施本で出されたものをあとでお金を取って出版するということもしません。
 
 スリランカではもし流通に乗せるとしたら、施本はやはり施本としてお金のお布施をもらい、非常に安いお金だけを取って、教えを広めるために本屋に並べるのだそうです。
 
 施本のお布施は、個人や家族が「家族が亡くなったのでこの施本の功徳を回向します」であるとか「家族の何周忌に」などでやり、それを施本に名前とともに載せるというスタイルです。勿論企業でも構いません。4.の日常読誦経典は、スリランカ人が経営する会社がお布施をしました。
  
 なにも人が亡くなった時ばかりである必要はありません。スガタ精舎では先日、子供を亡くして1周忌にお坊様に食事のお布施をし、絨毯もお布施をしたスリランカ人ご夫婦がいらっしゃいましたし、他の時には子供の誕生日だからといってお食事のお布施とでっかいケーキを持ってくる方が多くいらっしゃいます。亡くなった方に回向するためにお布施をすることも善いことですし、なにかきっかけがあってそれを縁としてお布施をすることも善いことです、勿論なにもきっかけがなくてもお布施することは大きな功徳になります。
 
 そうでなかったら、「この施本を作るために」ということでなくても、施本基金としてお布施することも勿論善いことですが、やはりなにかきっかけがあったり、「この施本を自分がお布施するんだ」という気持ちで施本に自分の名前が載るのとでは、心に刻まれる印象がだいぶ違うものになりますし、それだけ心に生まれる喜びが違ってくるものになります。
 
 また、スリランカでは1950年代に作られた施本が、今でもまだ版を重ねて施本として配られていたりします。スガタ精舎でも、今度の雨安居明けの法要では2.の迦絺那衣(かちなえ)に加筆・修正・改題した「偉大な八つの善行為」が施本として配られます。もし「施本のお布施をしたい」と思ったら、以前に出た施本で好きなものを選んで「この施本を制作して下さい」とお金をお布施しても良いですし、新しいものであればお坊様と相談するのも良いことです。但し、最終的に決めるのはお坊様であるということは忘れないで下さい。
 
 参考までに、今回の「偉大な八つの善行為」の場合ですと、22ページ200冊で、18,600円となりました。これは紙質やページ数、カラーかモノクロか等で変わりますが、このくらいであれば個人でも無理なくお布施できる範囲ではないかと思います。逆に日常読誦経典になると分量が130ページありますので、金額もそれなりになってしまいます。
 
 スガタ精舎にお布施をするということは、お釈迦さまの時代から続くお釈迦さまの僧団である四方僧伽(サンガ)にお布施をするということです。僧伽に直接お布施が出来、テーラワーダのより深い知識を日本語の施本で伝えることが出来るのは、今のところスガタ精舎しかありません。
 
 是非皆さんもこのまれな機会に、法施という大功徳を積んでいただきたいと思います。