2011-03-12

お見舞い


日本の大地震のことをお聞きし、皆様(電話番号を知っている方)にお電話しましたが、ほとんどつながりませんでした。

地震と津波の被害に遭われた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

三宝のご加護によって、菩提樹のご加護によって、すべての神々のご加護によって、被災者の皆様の命が護られますように、日本の皆様の苦しみがなくなりますように、心よりお祈りいたします。

スダンマ比丘




2011-03-07

吉祥経(Maṅgalasuttaṃ)


はじめに、どのようにして「吉祥経」ができたかということについてお話いたします。

昔、人間界で「吉祥」(幸福を運んで来るもの)とは何かという議論がおこりました。
「吉祥とは良いことや、めでたいことが起きる前兆だ」と、3つの意見で対立しました。

Dhitthi maṅgala   それは縁起のよいものを見ることである
Suta maṅgala    それは縁起のよい声や音を聞くことである
Muta maṅgala      それは縁起のよい香りを嗅ぐことである

その論争を守護神達が聞いていました。守護神達の間でも3つの意見に分かれて論争が続きました。そしてそれを聞いていた他の神々界からアカニッタカーという梵天界までもがこの3つの意見に分かれて対立をしてしまいました。

神々の王サカ王(帝釈天)は、これらの話を聞いて、
「いったいこの論争は誰が始めたのか?」 と神々に尋ねました。

「この論争は人間が始めました」 と答えました。

サカ王は 「それではこの問題を誰かお釈迦様に尋ねた者はいないのか」 と尋ねると、
神々は 「お釈迦様には誰も尋ねに行っていません」 と答えました。

サカ王は、「お釈迦様の考えを聞かないということは、火箸を持っているのにそれを使わずにわざわざ素手で熱い物を掴むようなものだ。すぐにお釈迦様のところに行ってお考えを聞いて来なさい」 と言いました。

神々は祇園精舎におられるお釈迦様を訪れました。そしてお釈迦様に次のように聞きました。

Bahū devā manussā ca, maṅgalāni acintayuṃ;
Ākaṅkhamānā sotthānaṃ, brūhi maṅgalamuttamaṃ
(Maṅgalasuttaṃ)

多くの天人や人々が、幸せを運ぶ吉祥とは何かを考えましたが
答えが見つかりません。最上の吉祥とは何か教えてください。
 (吉祥経)

これに対し、お釈迦様は38の吉祥を11の偈に分けて答えました。

Asevanā ca bālānaṃ, paṇḍitānañca sevanā;
Pūjā ca pūjanīyānaṃ, etaṃ maṅgalamuttamaṃ. (Maṅgalasuttaṃ)

愚かな人と仲良くしないでください
善い人と仲良くしてください
尊敬すべき人を尊敬してください
この3つが最上の吉祥です。
(吉祥経)


1.愚かな人と仲良くしないでください

お釈迦様はアングッタラニカーヤ(増支部経典)で 「愚かな人」 について次のように述べています。

Duccintita cinti hoti
Dubbhaasita bhaasi hoti
Dukkata kammakaari hoti


悪いことを考える
悪いことを話す
悪いことを行う

愚かな人はいつも悪いことを考え、悪いことを言い、悪いことをします。
いつも自分の幸せだけを考えています。
愚かな人とは、善悪の判断ができず、智慧がなく、他人に迷惑をかける人です。
愚かな人とは、きちんとした生活をしていない人です。

人はつき合う相手によって、善い人になったり悪い人になったりします。同じ親のもとに生まれても、つき合う相手によって変わってしまいます。スリランカのお寺の日曜学校の1年生の教科書には、『サッタクンバジャータカ』の話が次のようにわかりやく書かれています。

森の中の木の上にオウムの巣がありました。そこに二羽の子供がいました。大風で巣が壊れてしまい、二羽の子供は飛ばされ、離れ離れになってしまいました。

ある日、王様が森に狩りに出かけました。その途中、森の中で道に迷ってしまいました。歩き疲れて木の下で眠っていると、一羽のオウムが飛んで来て「捕まえろ!盗め!殺してしまえ!」と叫びました。王様は恐くなってその場から逃げ出しました。すると、

また別のオウムが出てきて、王様に向かって言いました。「あなたは疲れていますね。どうぞこちらに来て休んでください。この水を飲んで、この果物を食べてください」。
この素晴らしい声を聞いて王様はとても驚きました。

そこにひとりの修行僧が現れ、王様にこう言いました。
「王様に話しかけてきた二羽のオウムは実は兄弟です。大風で巣が飛ばされ、このオウムは善い環境で育てられましたから善い性格になりました。前のオウムは悪い環境で育てられましたから悪い性格になりました」

同じ親から生まれても、このオウムのように 「誰に育てられたか」 ということによって、性格が良くもなるし 悪くもなるのです。

サッタクンバジャータカの偈には次のように述べられています。
(修行僧に育てたれたオウムはお釈迦様でした)

Yam yam hi raaja bhahati
Satam vaa yadi vaa satam
Sila vantam visilam vaa
Vasam tasseva gacchati


王よ、善い人と仲良くすれば
善い人となり
悪い人と仲良くすれば
悪い人となる
戒律を守る人と仲良くすれば
戒律を守る人となり
戒律を守らない人と仲良くすれば
戒律を守らない人となる


Puuti maccham kusaggena
Yonaro upamayhati
Kusaapi puti vaayanti
Evam baalupasevanaa


腐った肉を包んだ葉は、葉から悪臭がでる
そのように、愚かな人と親しくすると
その人から不名誉の悪臭がでる
(たとえ自分が悪いことをしていなくても、悪い仲間のなかにいれば、他人から不名誉を受ける)

吉祥経の教えの1行目は「愚かな人と仲良くしないでください」ということです。


2.善い人と仲良くしてください

お釈迦様はアングッタラニカーヤで「善い人」について次のように述べています。

Sucintita cinti ca hoti
Subhaasita bhaasi hoti
Sukkata kammakari hoti

善いことを考える
善いことを話す
善いことを行う

善い人とはいつも善いことを考え、善いことを話し、善いことを行います。
また、次のことも述べられています。

Nahi yati puriso nahina sevi
Naca haayetha kadaaci tulyasevi
Setthaa mupanamam udeti khippam
Tasmaa attano uttarim bhajetha

自分より愚かな人と生活すると 自分も愚かになる
自分と同じ程度の人と生活すると それ以上愚かにならない
自分より智慧のある人と生活すると 立派な人になる
だから いつも自分より智慧のある人と生活した方がよい
 
さらに、サッタクンバジャータカには次のように書かれています。

Tagaranca palaasena
Yonaro upanayhati
Puttaapi surabhi vaayanti
Evam dhirupa sevanaa

よい香りのあるものを葉に包んでおくと
その葉からよい香りがでる
そのように、善い人と仲良くしていると
自分から名誉の香りがでる

ある日、アーナンダ長老はお釈迦様に言いました。
「お釈迦様の教えが受け継がれ広まってゆくのは、半分は善い人々のおかげです」

お釈迦様はアーナンダ長老の言葉を強く否定ました。

“Maa hevam Aananda! Maa hevam Aananda! Sakala mevahidam Aananda, Brahmachariyam yadidam kalyaaza mittataa.”

「アーナンダよ、そうではない!そうではない! 仏教が受け継がれてゆくのは、(半分ではなく)すべて善い人たちのおかげです」

善い人とは仏陀です。そして阿羅漢・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・善い両親・善い先生です。善い人の中でも最も善い人はお釈迦様です。
お釈迦様は自分を殺そうとしたアングリマーラやナーラーギリ、31人の射手に対しても分け隔てなく悟りへの道を教えました。

昔の人はこう言いました。「善い人は困っている人を助けます。自分が死ぬときでも他の人を助けます。白檀の木は切られると枯れて死んでしまいますが、最後に鋸の刃に良い香りを残します」

ここで皆さまに特にわかって欲しいことがあります。いくら名誉や地位があっても、善悪の判断ができない人は、善い人、立派な人ではありません。
善い人、立派な人というのは、まわりに愚かな人がいたら、その人を善悪判断ができるよう導いてあげられる人です。そのような善い人になれるよう、皆さまもぜひ努力して欲しいと思います。


3.尊敬すべき人を尊敬してください

ここで尊敬すべき人というのは、仏陀・法(仏陀の教え)・僧・両親・先生・年上の人のことです。
仏塔・菩提樹・仏像・仏画を尊敬することは、お釈迦様を尊敬することです。尊敬すべき人を尊敬する人は、大きな功徳を積むことができます。

サンユッタニカーヤ(相応部)には次のように述べられています。

尊敬する気持ちで仏法僧を崇めると
非常に多くの功徳が積めます
それはどんなに多くの富や財産を手に入れるよりも
すばらしいことです

(仏法僧に礼拝するためにお寺に行くとき、尊敬の心をもって行くなら、その功徳は、たくさんの富や財産を手に入れるよりも価値のあることです)

Titthante nibbute caapi samecitte samam phalam
Cetopasaada hetumhi sattaa gacchanti suggatim

お釈迦様が生きているときでも涅槃に入ったあとでも、お釈迦様に礼拝することの功徳は同じです。

年上の人たちに尊敬することについて、ティッティラジャータカの中に次のように書かれています。

Ye vuddhaa mapa caayanti
Naraa dhammassa kovidaa
Dhittheva dhamme paasamsaa
Samparaayeca suggatim

年上の人たちを尊敬する善い人は
他の善い人に尊敬されます
そして死後、天国に生まれます


Abhivaadana silissa
niccam vuddhaa pacaayino
cattaaro dhammaa vaddhanti
ayuvanno sukham balam

年上の人たちを尊敬する人は
長生きします
いつも美しく若々しいです
いつも幸せな気持ちで過ごせます
いつも健康です


仏法僧、尊敬すべき人たちを尊敬していると、そのことによって貧・瞋・痴の三大煩悩が少しずつ消えていきます。皆さまもいつも尊敬する心を持ち続けてください。

三宝のご加護がありますように

生きとし生けるものが幸せでありますように

Sadhu! Sadhu!! Sadhu!!!

2010-11-29

Kathina & Pirith Pinkama 2010

Kathina ceremony (2010-11-20)
 


Pirith ceremony (2010-11-21)
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2010-10-10

පරලොවට පණිවුඩයක්

පරලොවට පණිවුඩයක්


1. ලඟදී  ඔය පලාතෙන් බැල්ම ලා මේ රටේහී

උපදි  න අය ඇත්නම් කාරියක් මම් කියන්නම්

කලදි  අපට කිව්වේ නෑ කියා ඊට පස්සේ

වැරදි  කියනවාටයි කල්තියා මේ කියන්නේ



2. රට  බොහොම අසාරයි ඉන්න උන්ගෙත් විකාරයි

පිට  ඔපයට සූරයි කම්මැලියි බාරදූරයි

අට  පහ නොම තේරෙයි වල් සිරිත් පාර බේරෙයි

පිට  රටට වදාරයි කාපු දේවත් වමාරයි



3. ගත සිත නැත උස්සා  ආදි ඇත්තන් විලස්සා

එයිනි නොරට වැස්සා  ගෙන් හිඟා කෑම රිස්සා

පුටුව පිටම රස්සා  වෙන්ට නම් සී පරිස්සා

විය යුතුය සුදුස්සා  වී මෙහේ එන්ට ලිස්සා



4. උගත යුතුය ඉංග්රිසස් ඒ නමුත් පොඩ්ඩකින් බෑ

එහෙම ඉගෙන ගන්නටත් කාලයත් ලේසියත් නෑ

එයිනි ඔය රටේ බී.ඒ. වලින්වත් සමත් වී

පැමිණිය යුතු බැව් ඕනෑ කමින් දන්වන්නෙම්



5. සිහ ල  බස කමක් නෑ ඒ උගැන්මෙන් පලක් නෑ

ඉහ ල  ගිය කෙනෙක් නෑ ඉන් සකුත් පාලි කම් නෑ

අහ ල  ක උගතෙක් නැත්නම් කොහේවත් ගොහිල්ලා

දෙම ල  බස ටිකක්වත් පාඩුවක් නෑ උගත්තොත්



6. සිහල  සිරිත දැන්නම් තුට්තුවක් නෑ වටින්නේ

නැටුම  සහ පියානා සර්පිනා තාල ඕනෑ

මෙහි  එන හෙටනිද්දා ගෑනු ඇත්නම් ඔහේදී

වැඩිය  හොඳට මේවායේ සමත් වෙන්ට ඕනෑ



7. කොයික වැරදුනත් මේ නම් වරද්දන්ට එපා

කළුහම ලැබුනෝතින් වෙන්නේ ඔක්කෝම පාඩුයි

ඔළුගෙඩි බිම ගස්සා කාගෙනුත් ගන්ට පූජා

හම සුදුවට නැත්නම් සායමක්වත් ගෙනෙල්ලා

 

බොරලැස්ගමුවේ ජී.එච්.පෙරේරා~1925