2017-12-29

佛陀の九徳 〜 阿羅漢2、功徳、縁起


(これはスダンマ長老から教えていただいたものを録音し、書き起こしたものです)

アンナバーラの話


 ダンマパダの注釈書、dhammapada-aṭṭhakathā ダンマパダッタカターを読んでみると、因縁物語としてこういう話が沢山あります。
 
 お釈迦さまが生まれるより前の、アンナバーラというとても貧乏な人の話です。

ダーナサーラ・お布施食堂


 バーラーナシーという国にスマナという大金持ちがいました。そのスマナという人は色んな人たちにお布施をしていました。ダーナサーラーといって、お金がある人たちは昔自分の家の前で食堂を作って、そこで誰が来て食べても良いですよということで、貧乏な人たちもよくそこに来て食べていましたし、他の困っている人たち、道行く人たちにも食べさせてあげていました。
 
 こんなことを言うと「こんな人たちが本当に昔いたんですか?」と日本人は思うかも知れませんが、スリランカには今でもいます。だから私たちには何も不思議なことではありません。5月、6月になるとスリランカではただで、どこに行っても食べられるんです。
 
 ウェーサーカ月に入ると、村の人たちがみんなでお金を集めて食堂を作ります。それで一週間くらい沢山ごはん、カレーを作って、道を通る人々、貧乏な人たち、みんなを呼んで食べさせてあげるということを、今でもやっています。
 
 だから私たちには、貧乏な人を沢山自分のうちに呼んで毎日お布施をしている人がいました、といっても全然不思議とも何とも思わないんです。今でも見ることができますから。私たちは昔からやっていることですし、インド、スリランカ、タイ、ミャンマーでは、今でもあることです。
 
ウパリッタ独覚佛陀

 さてスマナという人がそういうお布施式をしていた当時、色んな独覚佛陀、自分で修行して悟りを開いているんですけど、他の人には説明することができない人たち、そういう人たちがいました。
 
 その独覚佛陀の中で、ウパリッタという名前の独覚佛陀がいました。upariṭṭho nāma paccekasambuddho と、isigili sutta という経典の中で名前が出てくる方です。
 
 独覚佛陀たちは困っている人たち、貧乏な人たちを助けてあげたいと神通力で見て、こういう人たちを助けるために、托鉢する時にはそういう家にわざわざ行きます。
 
 そのウパリッタという独覚佛陀は gandhamāda pabbata という山に住んでいて、一週間 nirodhasamāpatti ニローダサマーパッティ、滅尽定という禅定に入った後、今日は誰を助けますかと見てから、托鉢に出ます。
 
 滅尽定には阿羅漢になっている方々、独覚佛陀、それから正自覚者である釈迦牟尼佛陀が時々、涅槃を感じるということでその禅定に入ります。これは一般の禅定とは違います。全ての煩悩を無くした人たちにしかできない禅定です。そういう方たちはその禅定に入ると一週間、そのまま歩くことも食べることも寝ることも、なにもありません。生きている間に涅槃を、悟りを感じるということですね。独覚佛陀たちも時々その禅定に入りました。
 
 さてウパリッタという独覚佛陀がその時誰を助けましょうかと見ると、アンナバーラというとても貧乏な人が見えました。
 
 この人はスマナという、食堂を作っている大金持ちの所で働いている人です。その人もその食堂で食べていました。善い心を持っている人でしたから、ウパリッタ独覚佛陀はなんとか彼を助けてあげたいなあと思って、アンナバーラが仕事で外に出ている時に、村の入り口に行きました。
 
 托鉢に来たその独覚佛陀を見て、アンナバーラは「食事はもうもらいましたか」と聞くと、独覚佛陀は「まだ午前中です」と答えたので、ちょっとここで待っていて下さいと言って自分の家に走っていき、奥さんに私のご飯は残っていますかと聞きました。
 
 奥さんは「はい、残っています」というので、「私たちは前世に良いことをしてないんですから、今貧乏な人として生まれています。だからこの人生の中で、良いことをしなければいけません。私たちには何かを誰かにあげたいと思った時、それを受け取る人がいません。受け取る人がいる時は、あげる物がありません。でも今日は、ウパリッタという独覚佛陀が托鉢に来ています。受け取る人もいます、私のご飯も残っているので、あげる物もあります。私たちはなんとか食べられます。だからそれを差し上げましょう」と、入れ物に入れて下さいと言うと、奥さんもとても智慧のある人で、「これは素晴らしいことです! 私の分も差し上げます」と、奥さんの分も鉢に入れて差し上げました。
 
 この独覚佛陀は、この人が見ている前で、神通力で自分が住んでいるガンダマーダ・パッバタという所に飛んでいって、そこでご飯を食べました。
 

icchitaṃ patthitaṃ tuyhaṃ


 私たちは食事のお布施の時、
 
 icchitaṃ patthitaṃ tuyhaṃ - khippameva samijjhatu,
 sabbe pūrentu citta saṅkappā - cando pannarasī yathā.
 
 という偈を唱えます。聞いたことのある人もいると思います。お坊さんたちにお布施をした時には他に何も言わないで、それだけ唱えます。それを唱えて祝福して、いただきます。それは私たちが独覚佛陀たちから教えてもらって続けていることです。独覚佛陀たちはお布施をした人に、功徳を回向随喜するだけで、差し上げる時に説法するということはしません。だからこの偈、
 
 icchitaṃ patthitaṃ tuyhaṃ - khippameva samijjhatu,
 sabbe pūrentu citta saṅkappā - cando pannarasī yathā.
 
 と唱えて、幸福でありますようにと祝福し、もらった食事を持って帰るんです。このウパリッタという独覚佛陀も、同じようにその偈で祝福して帰りました。

 icchitaṃ patthitaṃ tuyhaṃ、tuyhaṃ はあなたたち、icchitaṃ patthitaṃ khippameva samijjhatu 考えている良いこと、願っている良いことがあればそれがかなえられますように、という意味です。願っていることがかなえられますように、sabbe pūrentu citta saṅkappā 心が喜びますように、どうやってか、cando pannarasī yathā 上弦の月が徐々に満たされていくように、そうやってだんだん、少しずつ少しずつ増えていって願っていることがかなえられますように、という祝福の偈です。今でも私たちはそれしか使いません。独覚佛陀たちも、それを同じように使っていました。
 

善いことをすると神々が喜ぶ


 さて大金持ちのスマナの家にも守り神がいました。
 
 だいたい木とかに神々が住んでいるということは petavatthu ペータワットゥ、vimānavatthu ウィマーナワットゥという経典の中に出てきます。そういう神々は、功徳をもっと持っている人たちがいるとその人たちの所に住んで、その人たちが功徳を積んでいるのを見て喜んで、その功徳を随喜することによってもらって、祝福してるんですね。
 
 だから私たちはいつもお経を唱えた時も、それから何か良いことを行った後にも、全ての神々全ての生命に功徳を回向するということをしています。これは昔から行われていることです。私たちを守っている神々は、私たちの功徳を見て喜んで、住んでいるんです。
 
 このスマナという大金持ちの家にもそういう神がいました。その神は、アンナバーラという貧乏な人が独覚佛陀にお布施したことを見て、
 
 aho dānaṃ paramadānaṃ
 upariṭṭhe supatiṭṭhitaṃ.
 
 と言って3回サードゥ! と唱えました。
 
 ダーナの中で、今までこのスマナという人が沢山お布施をしていたんですけど、そのお布施の中で一番尊いお布施は、このアンナバーラがしました、と喜んで言いました。

 するとスマナは、その神のサードゥ! という声を聞いて、「今まで私は沢山お布施をしてきました。それは見えなかったんですか? 今日したお布施だけ見たんですか?」と聞きました。そうしたら神は「いえいえ、あなたがしたお布施にサードゥ! と言ったわけではありません。あなたの家で働いているアンナバーラという人がお布施をしました。そのお布施を見てサードゥ! と言いました」と。
 
 そのサードゥ! という言葉は、その人がした功徳を自分もいただく、という意味ですね。
 
 誰かが善いことをやって、それを見て自分も喜ぶんだったら、それはその功徳をいただく、anumodana 随喜、喜は喜ぶですから、良いことを見て自分でも喜ぶならば、それは anumodana 回向、随喜といいます。
 
 だから神々がサードゥ! x3 というのは好き勝手にやっているんじゃなくて、やっている善いことを見て、自分もその功徳をいただきたいと思って、言うんですね。
 
 スマナはそのサードゥ! を聞いて、神にそう聞いたんです。

スマナはその功徳を欲しがります


 煩悩というものはすごく強いというか、このスマナという人はこのアンナバーラという人にお金をあげて、どうにかその功徳を買いたいと思ったんです。
 
 それでアンナバーラを呼んで、今日どんなことをやりましたかと聞いて、ウパリッタという名前の独覚佛陀にお布施をしましたということを聞き、そのお布施を私に売って下さい、お金を払いますから、と言いました。
 
 こういう話を見ると、恐らく昔にはそういうこともあっただろうと思うんです。今でも時々そういう変なことがあるじゃないですか。色々発見する人がいますね、そうすると特許を取ります。色んな会社とかそれを研究した人にお金を払って、それで自分で取るという形がありますね。それと同じようなものです。
 
 例えばお寺を造ってお布施します。そうするとお寺を造るためにかかった全てのお金をこの人にあげて、その人がお布施をしたいと、そうやってお布施することもできます。
 
 そういう風に、このスマナという人もあの貧乏な人のお布施の徳を、お金を払って買いたかったんです。全部の金(きん)をあげるからそれを私に売って下さい、と言ったんですけど、アンナバーラは「それは出来ません」と。ではちょっと待っていて下さいと、独覚佛陀の住んでいる gandhamāda pabbata という山に行って、独覚佛陀に「スマナという人が私にお金を払って、私のこのお布施を買いたいと言っています。売ってもいいですか?」と聞きました。
 
 独覚佛陀は「そうしたら、私はこういうたとえ話をします。あなたが理解すれば、その通りにしなさい」と言いました。説法は上手ではありませんから、一応たとえ話で言うということですね。
 
 町の中に火のついた一本のローソクが立ててあります。沢山の人がローソクを持って来て、そこから火をつけて持って行きます。するとそこにあったローソクの光は、少なくなりますか?
 
 これだけです。それでアンナバーラは考えます。やっぱりそうですねぇ、私は良いことをしました。沢山功徳をもらいました。だからそれを他の人たちに分けても、ローソクの光が少なくならないように、私の功徳も少なくなるわけじゃありません、だから皆にこれをわけてあげます、と考えました。
 
 そして大金持ちのスマナの所に帰って、どうぞ、私が独覚佛陀にご飯を差し上げていただいた功徳を、あなたにもあげます、どうぞ受け取って下さい、と言いました。そうしたらスマナは、お金を払いますと。いえいえお金は要りませんと。
 
 スマナも引き下がりません。ではこれはお布施の徳を買うために払ってるんじゃなくて、あなたはこういう善いことをしましたからあなたに尊敬するために、私からこれをプレゼントします、と言ったら、アンナバーラは受け入れました。
 

王様にもその話が伝わりました


 大金持ちのスマナは、王様の所でも働いています。次の日スマナが王様の所に行く時、アンナバーラも連れていきました。王様は不思議に思って、他の日には連れてこないこんな貧乏な人をどうして連れてきたのかと、よく見ていました。スマナは王様に説明します。
 
 「この人は昨日良いことをしました。自分が食べるためにあったものをお布施しました。だから私は昨日千金をあげました。」
 
 それを聞いた王様も喜んで、そうしたら私もあなたに何かプレゼントしなければいけないなあと、沢山お金をあげました。それだけじゃなく、家も造ってあげました。
 
 家を造るのは家来の人に任せました。その家来たちが土地をきれいにしている時、色んな宝物が土の中から出てきたんです。なので王様の所に行って、色んな宝物が出ていると王様に話したら、それを全て掘り出して持ってきて下さいと王様は言いました。
 
 家来たちは、私たちの王様はとても立派な人で、徳を持っている人ですから土の中からこういう宝物が出てるんですよ、と言いながら掘り出そうとしました。しかし掘っても掘っても、その宝物はどんどん土の中に入っていってしまいます。
 
 これは不思議なことですから、家来たちが王様に報告したら、そうしたらそれは王様のためじゃなくてアンナバーラという人のために出ているものですよ、と言いながら掘ってみて下さいというのでそうしてみると、沢山の宝物を掘り出すことができました。
 
 その沢山の宝物を数えてみると、この国でこのくらいの財産を持っている人が他にいるのかと調べてみても誰もいないということで、長者になってしまいました。その街の長者にして、王様の指導者というんですか、色々教えてくれる人として、王様にアドバイスする大臣になりました。
 
 という話です。そしてその人は、それでもお布施することはやめないで、ずーっとお布施をして生きていって、最後に天界に生まれました、ということです。これは aṅguttaranikāya の注釈書、manorathapūraṇī の中に出てくる話です(dhammapada-aṭṭhakathā にも出てきます)。
 
 この話では、独覚佛陀にお布施をすると、生きている時にその結果をもらうということがわかります。
 

正自覚者へのお布施


 最後は、阿羅漢である正自覚者へのお布施、ですね。
 
 お釈迦さまは昔からずーっと十波羅蜜を、三十波羅蜜として修行してきました。
 
 passatha imaṃ tāpasaṃ - jaṭilaṃ uggatāpanaṃ,
 aparimeyye ito kappe - buddho loke bhavissati.
 
 ディーパンカラ佛陀が言いました、
 
 比丘たちよ、この修行者を見なさい
 尊い、すごい修行をしているこの者を
 彼は輪廻転生の中で遠い将来
 正自覚者になります
 
 私たちの釈迦牟尼佛陀は、菩薩として修行している時、ディーパンカラという佛に出会いました。その佛は、スメーダという菩薩に言いました。この人は将来ゴータマという名前の佛になって悟りを開きます、と。
 
 そう言われた時からずーっと十波羅蜜を実践してきました。その徳、お釈迦さまの、全ての供養を受けるために良いという功徳がどのくらい力があるものかということは、今私たちがやっていることでわかりますね。
 
 現在、日本だけではなく、お釈迦さまが入滅して2560年経っている今でも、お釈迦さまのために沢山のものを差し上げています。午前11時にスリランカでお釈迦さまに差し上げる分だけでも、全部同じ所に集めたら、山みたいになります。
 
 佛歯寺だけでも、差し上げるご飯はだいたい60人くらいの人が食べる分を一回一回お釈迦さまに差し上げています。佛歯寺は王様の命令で、昔から同じように16kgのご飯を差し上げることになっています。32種類のカレー、7種類のお菓子と7種類の果物を毎日毎日、一日の、一食として差し上げています。
 
 これは考えてみると、お釈迦さまが入滅しても、お釈迦さまの阿羅漢という徳の力が今でもある、ということです。タイ、ミャンマー、ラオス、カンボジア、それから大乗佛教の国々でも、お坊さんたちがお釈迦さまにお供えするんです。全てを集めたら、富士山みたいな山になると思います(笑)。
 
 それだけ見ても、お釈迦さまの阿羅漢という徳が、全ての供養を受けるために良いということが理解できます。色んな話はなくてもいいんです。
 
 私たち、お釈迦さまの弟子である私たちお坊さんも、食事をいただくことができるということは、そのお釈迦さまの阿羅漢という徳の力によって、です。その力で、食べ物をいただいています。
 
 お釈迦さまにお布施をするとどのくらい価値があるかということについて、話すことは簡単ではありません。これまでの話の、阿羅漢たちや独覚佛陀、そういう方々にお布施をするとそういう功徳がもらえるんだったら、ではお釈迦さまにお布施をするとどのぐらいの功徳が得られるのかということを、aṅguttaranikāya の中にある velāma sutta でお釈迦さまが教えています。
 
 yaṃ, gahapati, velāmo brāhmaṇo dānaṃ adāsi
 mahā dānaṃ, yo ekaṃ diṭṭhisampannaṃ bhojeyya
 idaṃ tato mahapphalataraṃ.
 
 velāma というバラモンの人に、お釈迦さまが言いました。
 
 一つのダーナ、お布施があります。このお布施はこの上ない功徳がもらえる、と言います。どういうものかというと、velāma という人は7年7ヶ月7日間色んな人たちにお布施をしました。でも、預流果になっている人に一日お布施をするんだったら、あの7年間お布施をしたことより高い功徳が得られます。
 
 これは受ける側の徳の力ですね。煩悩のない人が受けると、力が強いということ。
 
 預流果になった100人の人に差し上げるより、一来果の一人にあげた方が功徳が高い、一来果になった100人にあげるより不還果になった一人にあげた方が功徳が高い、不還果になっている100人にあげるより阿羅漢果になっている一人にあげた方が功徳が高い、100人の阿羅漢にあげるより一人の独覚佛陀に差し上げる方が功徳が高い、100人の独覚佛陀に差し上げるより一人の正自覚者に差し上げた方が功徳が高い。
 
 だからこの世の中では、何かを差し上げて沢山功徳をもらうことができる人は、正自覚者であるお釈迦さまです。お釈迦様に差し上げるということは、とても、この上ない功徳が得られるということを教えています。
 
 簡単に言うと、阿羅漢であり、という言葉の意味は、全ての供養を受け取るために良い、という意味です。それは一番目の、大事な意味です。その意味があるから、私たちは今でも、お釈迦さまに尊敬して礼拝して、食事をお布施するとか、色々お供えしているんです。
 
 お釈迦さまの一番の徳の意味、この阿羅漢であり、ということが少しでもわかれば、それで良いなあと思います。
 
 そういうことで、阿羅漢という意味はどういう意味かと、わかったでしょうか。
 
 お釈迦さまにどうして食事のお布施とかしてるんですか、という質問の答えがここにあります。なぜ佛像の前に食べ物や飲み物を出すんですか、と聞く人がいますね。何もないこの佛像に差し上げるより、貧しい人に食べさせてあげた方が良いんじゃないですかと、質問する人がスリランカ、タイ、ミャンマーにもいます。それは佛教がわからない、というだけのことです。
 
 お釈迦さまの徳がわかっている人には、それは問題にはなりません。ここにいる人たちにも、お釈迦さまに食事を出さないで下さい、お布施しないで下さいと言ったとして、果たして聞くでしょうか。聞かないでしょ?
 
 自分の気持ちでお釈迦さまにお供えします、できる範囲で。ローソクを差し上げる、花を差し上げる、全て、供養するということですね。これはお釈迦さまの、阿羅漢という徳の力です。
 
 だから、世界にいるお坊さんが皆、佛教徒に対して「お釈迦さまに何も差し上げないで下さい、佛像に差し上げても意味がないよ」と言っても、誰も聞きません。差し上げ続けます。お釈迦さまの阿羅漢という力は、佛教がなくなるまで世の中にあるんです。お釈迦さまが涅槃に入って2560年経った今でも、お釈迦さまのために差し上げてるんです。これが阿羅漢という言葉の意味です。
 
 他の徳を説明するには、こんなに時間はかかりません。他の徳は、全て阿羅漢という徳の周りにあるものです。全部これに含まれています。
 
 例えば天人師である、という時は、他の阿羅漢の方だと、説法することができる方もいればできない阿羅漢もいる。でもお釈迦さまが説法すると、それは誰にも理解することができるように、誰にもわかるように教えてくれるんです。それも、阿羅漢という徳の力です。だから天人師になっているんです。なので、一番目に言っているのは、阿羅漢なんです。
 
 namo tassa bhagavato「arahato」sammā sambuddhassa.
 
 礼拝する、三回唱える文の中に、「阿羅漢であり、正自覚者であり」ということを言いますね。ここでも arahato という言葉を使っているのは、それは一番大事なことであるからです。
 

功徳とは


--功徳とは? 功徳という言葉の意味は?
 
 簡単に言うと、エネルギー、ですね。目に見えない力。功徳という言葉はパーリ語で puñña。puñña という言葉は
 
 hadayaṃ punātīti puññaṃ,
 cittaṃ punātīti puññaṃ.
 
 と説明されます。良いことをして喜ぶことができるのであれば、それは功徳と言います。
 
 私たちはよく言いますね、心の力、佛教は心の科学、とか。心は一番大事です。この心で、生きとし生けるものが幸せでありますように、と言うと、自分の心も清らかになって、周りの人々の心も清らかになります。
 
 心の力を言うために、たとえ話で言います。
 
 同じ日に二つ、同じ木を植えます。同じものに同じ栄養を入れて同じ鉢に同じように植えて別々に置きます。一つの木にはどうでもいいやと水をあげて、もう一つの方にはちゃんと水をあげながら善い言葉で、良く育って下さい、実をならせて下さいとか、そういう言葉をかけながら水をあげたり栄養をあげたり。そうやっていくと、親しく話した木はとてもよく元気に育ちます。先に花が咲きます。やってみて下さい。
 
 それは心の力ですね。これは子供でも同じです。子供にも、怒って言うよりは、とても親しく善い心で教えてあげると、良い子になります。
 
 同じように、心の力で、皆幸せでありますようにと心の中で思うと、私たちの心も清らかになって、周りの人たちの心も良くなります。逆に皆不幸になりますようにとか変なふうに思ったら、自分の心も汚くなって、その心の力は無くなってしまいます。周りの人たちも不幸になります。
 
 功徳というものは良い心で、私たちが何かする、と。その結果ですね。
 

縁起


 これは縁起の教えと同じです。私たちが良いことをする、お布施をすると功徳を積む、ということをお釈迦さまが簡単に説明します。
 
 yādisaṃ vapate bījaṃ,
 tādisaṃ harate phalaṃ.
 
 何かの種を植えると、植えた種の木が出てきます。ゴーヤの種を植えるとゴーヤのつるが出てきて、ゴーヤの実ができます。お米を植えるとお米の茎などが出てきて、お米を取ることができます。お米を植えて大豆を収穫するということはできません。あり得ないことですね。
 
 縁起の教えというのは、自分でやることと同じことの結果をもらう、ということです。
 
 それを理解するには、よく考えなければいけません。
 
 例えば、お布施をするともらう功徳について、色んな食べ物を差し上げたら私たちも食べ物をもらう、ということではありません。
 
 お米を植えたらお米ができたんですから、食べ物を上げたら食べ物をもらう、とか。そういうことではなくて、食べ物をあげるということは、人に命を与えること、とお釈迦さまは教えています。食べ物を差し上げると、五つの結果がもらえる、と。
 
 1. āyuṃ deti
 2. vaṇṇaṃ deti
 3. sukhaṃ deti
 4. balaṃ deti
 5. paṭibhānaṃ deti
 
 āyu 命をもらいます、vaṇṇaṃ 身体の色、血色が良くなります。顔色が良くなる、という言い方がありますね。食べないでいると、枯れていくみたいな感じですね。vaṇṇa 色(しき)。sukha 楽。食べると楽になります。だから楽をもらいます。bala 力をもらいます。それからpaṭibhāna 智慧、理知。智慧が生まれる力。食べないで、お腹がすいて困っている人には、何を言っても理解できません。理解するためには、ちゃんと元気な身体を持たなければいけません。その力をもらうことができます。
 
 食事のお布施をするということは、この五つの力を差し上げる、ということです。結果として私たちがもらうのは、この五つの力です。
 
 功徳というのは、そういう見えない不思議な力のことです。
 
 悪行、pāpa というのもそれと同じです。それも見えない力なんですけど、それは悪い結果を受ける力になります。
 
 善行為をすることによって自分の人生が良くなるということは、自分で良いことをすればするほど、心が清らかになります、心が清らかになると、その善行為の結果をもらうことができるようになる、ということです。ですから心が喜ばないと、善行為の結果をもらうことができません。
 
 たとえ話でいうと、たとえ話が多いですが(笑)、衣を作るとしますね。まずは白いもので衣を縫って、それを染めます。染める時、白い布を一回洗います。もともときれいなもので作っているのになぜ洗うのかというと、縫っている時に油などが付いてしまって汚くなっていたら、そこには色が付きません。だからその汚いところを取ってきれいにしてから、色を染めます。
 
 それと同じように、心がきれいな心じゃないと、何が起こっても心には付きません。取れてしまいます、追い出してしまいます。だから心を育てることが一番大事なことだ、お釈迦さまは教えます。
 
 今言ったたとえ話も私の例えではなくて、お釈迦さまのたとえです。お釈迦さまの時代から衣を色で染めて来たんですから、それは誰にも理解できる、わかりやすいたとえです。
 
 私たちは、どんなことをやっても、その時は良い心で、善心で行わなければいけない、とお釈迦さまはおっしゃいます。
 
-- arahaṃ と阿羅漢、違いはあるのですか?

 いえいえ、日本語で言うと阿羅漢、パーリ語で arahaṃ、違いはありません。
 

結局マハーカッサパ尊者の話をします


 お釈迦さまの弟子の中で三番目の弟子、マハーカッサパ長老もとても不思議な力を持っていた方で、agga dakkhiṇeyya という、マハーカッサパ長老にも何か差し上げるとその場で結果をもらうことができるという力を持っていました。どうしてかというと、マハーカッサパ長老は森の中で生活していた、頭陀行の第一人者であったからです。お釈迦さまよりも厳しい修行をしていたと、お釈迦さまも言っています。
 
 ある時お釈迦さまと比丘たちが、ある在家の家に呼ばれて食事のお布施を受けている時、マハーカッサパ長老は托鉢をしていまして、偶然その家にも托鉢に行きました。

 家の人は、お釈迦さまはじめ阿羅漢の方たちが家の中にいらっしゃるんですから、どうぞ中に入って食事のお布施をお受けくださいと言いましたが、長老は、いいえ、それは私には合わないと、断りました。私はそうやって家に行って食べることはない、と。それをお釈迦さまが聞いたらとても喜びました。自分の弟子の徳を唱えるということもお釈迦さまは喜んでやっていたことです。
 
 「私よりも立派な人ですよ」と。私よりも、というのは、お釈迦さまより上、という意味ではありません。お釈迦さまは「私は屋根のあるお寺に住んでいます。でもマハーカッサパ長老は空の中に住んでいる」と。私は家に行ってご飯が出るまで待っています、家に呼ばれてるんですから。マハーカッサパ長老はそうではありません。托鉢でもらったものしか食べません。それも、鉢でしか食べない、等々、いろいろと良いことを言うんです。托鉢も、一週間に一回くらいしか出ないんです。
 
 そういう頭陀行、難しい修行をしていました。
 
 マハーカッサパ長老の因縁物語も経典の中にあります。アノーマダッシーという過去佛、正自覚者の前で色んなお布施や色んな修行をして、その後天界と人間界に生まれながら来て、私たちのお釈迦さまの時代にインドに生まれ、それも大金持ちの家に生まれました。結婚して、結婚した相手の人も大金持ちの家の人でした。
 
 長老の元の名前はピッパリ、カッサパという名前は出家した後でもらった名前で、お母さんのバラモン族の家系の名前でした。奥さんの名前はバッダーカーピラーニー、二人が持っているお金を合わせるともの凄い量になりました。でも奥さんもアノーマダッシー過去佛の時から修行してきた人です。いつか佛の第一弟子、比丘尼になりたいと来た人です。
 
 二人とも結婚生活したいとは思っていなかった。しかし親の命令で結婚することになったんですね。結婚しても親が死ぬまでは別々に生活していました。持っている財産は全て色んな人たちに分けてお布施して、親が死ぬと二人とも出家したんです。
 
 出家して、お釈迦さまの第三弟子になりました。お釈迦さまが着ていた衣と自分が着ていた衣を交換しました。
 
 お釈迦さまのとても近くに生活していたんですけど、不思議なことに、お釈迦さまの三十二相ありますね、身体の三十二相、その不思議な形、三十二相のうちマハーカッサパ長老は七相を持っていました。なので人々が時々お釈迦さまと間違えました。そういうことがあったので、やっぱりお釈迦さまが来ている時には私は町に出ない方が良いと思って、森の中にいたんです。
 
 お釈迦さまがその村に来ると聞いたら、長老はその村から出て他の所に行きました。そうじゃないと、お釈迦さまが来たと間違えて、皆お釈迦さまにお布施をしないでマハーカッサパ長老にお布施しちゃったりしたんです。だからあまりお布施を受けにも行かなかった。自分で修行していたんです。
 
 かわいそうに、女の人は嫌いです。もう悟った後でも女の人には説法しません。王様から何回か、お城にお后さんたちが沢山いましたから、その人たちに説法して下さいと言われても、説法しません。
 
 このように女の人からとても離れていました。だから、第一結集を行う時も、マハーカッサパ長老が中心で行いましたから、比丘尼たちは中に入れなかった。比丘たちだけ、阿羅漢になった500人の比丘たちだけを集めて第一結集を行いました。
 
 立派なお坊様で、誰もが尊敬していました。比丘尼たちも、カッサパ長老と仲悪くはしていませんでした。ちゃんとお釈迦さまが入滅した後、後継者としてとても尊敬していました。私たちには説法もしてくれないとかは言いません。
 
 マハーカッサパ長老の話の中で、ある時、七日間の禅定に入った後、今日は誰を助けてあげようかなあと見ると、指が腐って取れてしまう、そういう病気になっていたとても貧乏な人が見えました。その人の命は今日で終わりだということもわかって、何とか助けてあげたいと、托鉢に行きました。
 
 その貧乏な人が朝おかゆを作ってそれを食べようとしていた時、長老が托鉢に行きました。マハーカッサパ長老が托鉢に来ているというのを見て、彼は腐って取れそうな指でなんとかしてスプーンも持って鍋も持って、カッサパ長老の近くに行っておかゆを差し上げようとすると、虫が飛んできてそこをグルグルと回りました。長老は気にしないで待っていたんですけど彼は一般の人ですから、その虫を追い払うために手を振りました。そうすると、腐って取れそうになっていた指が鉢の中に落ちました。
 
 別に長老は気になっていませんから、指が入った鉢にそのままおかゆをもらいました。カッサパ長老はその人の心をもっともっと喜ばせるために、その人が見ている所でそれを食べたいと思って、家の前にあった木の下に重衣という肩にかけている衣を敷いて座って、鉢の中に入っていた腐って落ちた指を自分の指で取って、それを丁寧に下に置いて、そこでおかゆを食べて帰りました。
 
 彼はそれを見て、やっぱり人生の中で善いことをやりましたねえと、とても喜びました。その喜びの心のままで、出かけた時に牛がぶつかってきて死にました。死んで、もうなんか寝て起きたみたいな感じでトゥシタ天界、兜率(とそつ)天に生まれました。
 
 これは阿羅漢たちの不思議な力です。佛法僧の徳をちゃんと理解して帰依する人は、必ず解脱に達するということは、そういうことです。
 

こういう話は、テーラワーダ圏共通


 こういう話を聞くと、なにか神話のように思う人もいるかも知れませんが、このたとえ話は私が好き勝手に作ったものでもないし、ちゃんとお釈迦さまの時代とか、阿羅漢たちが住んでいた時代に起ったことがそのまま本に書かれてあります。

 パーリ語がわかる人がいるんだったら、これらは全てインターネットで見ることができるようになっています。

 tipitaka.org に行くとシンハラ版三蔵もあります、ローマ字版三蔵もあります、タイ文字三蔵もあります、デーワーナーガリー文字で書かれた三蔵もあります。三蔵経もあって、注釈書もあって、その注釈書の注釈書もあります、tīkā といいます。

 その次にスリランカ、タイ、ミャンマーというその国々で作って今も使っている、パーリ語で書かれている佛教の本、全てあります。同じサイトで全て見ることができます。だから、シンハラ語である話をしたわけでもないんです。パーリ語でちゃんとあって、タイ、ミャンマー、スリランカのお坊さんたちが誰でも知っていることですね。それをただ説明しただけです。